日記「引出しの中」

遠い日のハテナ ダイアリーのように、、。

2024.01.25「九段下・俎橋」

東西線九段下駅」を出て、すぐに日本橋川にかかる橋。
これが「俎橋」。
俎は「まないた」と読む。今日まで知らなかった!
25歳、結局これという決まった職もなくお金にならない音楽ばかりしていた時代。
神保町の写植会社の分室というのが、この橋から大通りに出たところで右に曲がったところに位置していたと記憶。
古い小さなビルだが小綺麗で、決して貧相というのではなかった。その2Fに分室はあって、写植機が6台だったか?置かれていた。
窓側は机が並べられて、緑のゴムマットが敷かれている。誤植した時にオペレータ連中が修正刀で直しを入れる場所で、私にはささやかなオアシスだった。外の大通りを眺めながら半分休憩出来るから。
重いガラス板の文字板を1日中、動かしてはシャッターを切る写植機。軟弱な自分が愛着を持てるはずもない。
それでも会社を転々としつつ、10年はやっただろうか。
この分室への行き帰りは必ずこの橋を渡ることになる。
時折、川を覗き込むと、バシャ!と大きな音がして大きな魚(鯉だろうか?)跳ねるのが見える。高架の下いつも薄暗いから、不気味な景色なのだが、今となっては懐かしい。ネットの写真で見ると橋と川の織りなす景色は殆ど変化がなく時が止まっているように思える。おそらく実際に行ってみると、過去にタイムスリップしたような気分になるだろう。
ホーキング博士によれば、タイムスリップは可能だが、それは未来ということであり、過去へは大変難しいという事らしい。
まあ、そういう気分になれる場所があれば、それで十分かも知れない。
この「俎橋」のように。
当時は痩せていたし、食べなかった!飯田橋の乗り換え時、階段を上がった角に小さなスタンドがあり、そこでお昼用の500円の弁当を買う。それで十分だった。
自分の歩みなんて蛇行の連続で、本当にフラフラしている。結婚してもフラフラしていたし、少しマシになったのは子供ができてから。子供と言ったって彼はもう24歳なのだ。つまりこの25歳の自分と殆ど変わらない。
この驚愕の真実!!
この橋に行くと、浦島太郎状態になる可能性大である。
感傷的な気分になって行ってみた、なんてことのないように注意したい、、笑