日記「引出しの中」

遠い日のハテナ ダイアリーのように、、。

2023.11.06「贖罪」

贖罪と言うのなら、僕は山ほどの善行をする必要がある。
先ほどから、自分のいけないことの裏にある、根深い精神的な弱さを思う。
ただ人間、弱い分には良いのではないかと思う。
「強くなりなさい!」とよく巷じゃ言うけれど、強くなれるのであればとうの昔に強くなっているわけで。
善行なんて言葉は、なんだか嘘くさくて気持ち悪い。
では過去、自分の仕出かしたことを、そのままで良いのか、と言うとそれはさらに気持ち悪い。
そして、それは何かしらの親切で消えるわけもない。
残念ながら過去の事実は、形を変えることなく脳に刻まれるし、誰もが忘れたとしても時間の記録に永遠に姿を留める。
善行なんかしたってダメなのである。
閻魔様のご愛用、閻魔帳にしっかり描きとめてあるわけだし。


それよりも、素の自分を出して、自然体で生きるってことが大切と言う気がする。
どうしても保身から、虚飾に逃げる。
それを限界までこそげ落として歩みを進めたい。
過去やらかしたことは、仕方ない。
うっかり思い出したら、ごめん、これからはしっかりします、と呟けば良い話。

人間誰しも実は弱いのではないかと思う。ただ表出している人と、出ない人、弱い部分が違っているだけで、実は強度(弱度)で言えば似たり寄ったりではないかと思う。

それにしても何と迷惑をかけてきた人生だろうか。
家族、友人、先生、そして、、。「これからはしっかりします!」と言っても、きっとクスクス笑うに違いない。