日記「引出しの中」

遠い日のハテナ ダイアリーのように、、。

2024.05.04「二つの耳と、10本の指の会話」

自分の曲なんですけどね。
弾けないわけです。
作曲した時は、弾けている。というか弾けたから形になっているわけだ。
しかし、それは1回こっきりで、つまり即興で弾き倒していることになる。
論理的に積み重ねて作るというのではない。
私は、脳の容量が圧倒的に不足しているので、そう言う作曲の流れは存在しない。

二つの耳と、10本の指の会話によって、ノンストップで進めていく。
考えるのは後だ。
気に入ったら、そこで曲として認識される。
しかし、、
では、瞬間的に気に入ったものが出来たから、その通りに弾けるか?というと、
出来ない。
そこから、クラシック音楽と同様に私の苦難の道が始まる。
つまり、自作をさらうことになる。
今、休憩してこれを書いているが、またリスタートすることになる。
目の前には、DAWの譜面がご丁寧に間違っているところまで表示している。
4月27日ライブで課題を露呈した、Tunnel Vision 04は確かに自分の作品の中でも突出した難曲であることは確か。
難曲だから作品として満足しているのか?と言われれば、それは無関係。
それに、その難曲と言うのは「メカニカルな面」を指しているのではない。
新機軸の音の重なりから自分が対応出来ていないことが、その意味。

作曲は中学1年の時からやっているが、これほど飽きない「最強の趣味」はないと思う。音楽は音の誕生があって初めて先に進む。無の空間に、初めて音ひとつを奏でることの世界の変容ってのは半端じゃないと思う。
自分に反省を促す意味で、書いておきたい。
音ひとつでも、表現は可能となる。
自分の力不足を宣言するようでもあるけれど。
しかし、本当のことなのだから仕方ない。
「楽しいから続ける」というのは、私の場合(飽きっぽく続かない性分なので)大前提だが、楽しいだけではどうも危うい気がする。進めるためのいくつかの因子が絶えず必要なのだろう。

▷次回FLAT122・ライブは8月17日(四谷Doppoです。